コミュニケーション能力が…という前に、年齢の壁を超えろ!




「コミュニケーション能力を育てよう」などと学校教育でも言われます。

小学校でも外国語活動を通して、表現力を育て、

コミュニケーション能力を育成していこうという動きはありますよね。

そうした風潮の中、「空気(雰囲気)が読めない」

などといった言葉を耳にする機会も増えてきました。

一体、コミュニケーション能力を育てるには、何が大切なのでしょうか。

 

 

そもそもコミュニケーション能力って何ですか?


ウィキペディアの記述によると、

「他者とコミュニケーションを上手に図ることができる能力」

と、あります。

 

う〜ん、確かにそうだけど分かったような分からないような…。

 

コミュニケーションと言えば、

情報のやり取りのような印象があるかもしれませんが、

私は、情報のやり取りは、コミュニケーションの極一部であって、

本当に重要な部分は、情報の裏側にあるように思います。

 

どういう事かと言うと…

Aさんが「あんた本当にバカだなぁ」と言った時に

Bさんは「Aさんがバカって言った!わぁ〜(泣)」というケースもあれば、

 

Cさんが「あんた本当にバカだなぁ」と言った時に

Bさんは「あらそう?エヘヘ(笑 関西風かな?)」という程度で済む場合もあります。

 

全く同じ言葉を使ったにも関わらず、伝わる印象は大きく異なります。

またAさんとBさんとの関係

CさんとBさんとの関係によっても変わってきます。

 

この部分については、

理論的に説明が難しいように思います。

 




 

ところが、このニュアンスを感じることが超重要です。


学校教育でも「コミュニケーション能力が大切だ!」と言い、

社会的にも「コミュニケーション能力・スキル」と言った言葉が、

日常的になってきているということは、

そこに課題(悩み)を抱えている人が多いということでしょう。

 

言葉だけを理解するのではなくて、

その言葉の裏側を読み取ったり、

自分の思いを上手く言葉にのせたいという願いは多くの方がもっていることかもしれません。

 

もちろん、技術的な話もとても重要ですが、

言葉の裏側も感じながらコミュニケーションがとれるようになるには、

どれだけの人と接することができたか?によって、

大きく左右されると思います。

 

家族におじいちゃん、おばあちゃんもいて、兄弟も多いとなると、

まぁ…次々と課題が押し寄せてくることは、あなたも想像できるでしょう。

家族だから分かっているやろう…と勝手な憶測をして、

思いを語ったけれど、全く伝わっていなくて悔しい思いをした。

また、その反対のケースもあることでしょう。

何度言っても分かって貰えない…

こんな経験を繰り返しながら、

どう伝えたらいいのか考え、相手の意図を読み取ろうとして、

言葉の裏側も感じる力が育っていくのだろうと思います。

 

 

じゃあ、うちは核家族で一人っ子だからもうダメ?


そんなことはありません。

「子どもは子ども同士で遊ぶもの」という枠を外せばいいのです。

 

先日、プロ棋士(囲碁のプロ)と話をする機会に恵まれました。

囲碁が好きな人からすれば羨ましいことでしょうか?

プロ棋士の川添綾子さんはこんな思いを語ってくれました。

 

私は囲碁をする人だから、囲碁について話しますが、

年齢を問わず、身体をハードに使わなくてもいい遊びには、

たくさんの良さがあります。

 

例として囲碁を挙げますが、

何かに置き換えて聴いて貰ってもいいと思います。

 

囲碁といえば、お年寄りがするイメージがあり、

子どもが楽しむという印象が薄いかもしれませんが、

それがまた余計にいいんですよ。

 

お年寄りの方の元に、子どもが来て、

「なぁなぁ、囲碁しようよ。」と言えばどうでしょうか? 

こんな子どもってそんなに多くないでしょ。

だから、お年寄りの方からすれば、格別嬉しいものです。

しかも、お互いが遊び相手だから、〜してあげるって雰囲気じゃないの。

 

で、少し囲碁の技術が高まってくると、

相手の戦略や性格なんかも分かってきます。

黒や白の石ころを並べるだけですが、そんなところまで見えてくるんですよ。

何より、勝負をしながら、ちょっと雑談をしたり…。

 

囲碁のちょっとした知識と楽しむ気持ちが分かったら、

それだけで、たくさんの人と話をする機会にも恵まれるでしょ。

どっかの社長さんと小学生が、同等の立場で勝負をする。

「子どもと一緒にいると元気がもらえるわ」と、喜ぶお年寄りがいる。

こんな風景もたくさん見てきました。

 

こうして、たくさんの人と楽しく関わった子どもが

きっと豊かな生き方をするんじゃないかなぁって思うんです。

だから、私は囲碁の技術を教えることもしますが、

囲碁ができたらこんな楽しい世界があるよってことを伝えたいんです。

 

 

学校で私はとってつけたような

ボランティアを子どもにさせていました。


「総合的な学習の時間」が小学校にはあります。

学習内容は、学校の方針で決めることができるのですが、

よくあるケースが「お年寄りとの交流」です。

 

コミュニティーセンターや施設に子ども達を連れて行き、

何か出し物をしたり、少し簡単なゲームをしたり…

こんな活動を授業に取り入れていました。

 

もちろん、お年寄りの方々は子ども達を快く受け入れて、

喜んでくれましたが、この活動の後が無いわけです。

やって終わり…。

 

学級の子ども達の何人かでも、地域のお年寄りと友達になり、

その後も会って一緒に何かをするといった事になって

初めて、本当の交流になるのでしょうが、

私はそこまでもっていくことができませんでした。

 

子どもにしても、ある日の授業で先生に

「○月○日に地域のお年寄りと交流します。」と発表され、

その日に向けて準備をしていくので、やらされている交流になりがちです。

 

 

息子は交流じゃなくて友達感覚で…


以前、川添綾子さんに囲碁の面白さを聞いた私は、

息子に囲碁のルールを自慢気に伝えました。

何度か親子で勝負をしていたのですが、

近所の年配の方が囲碁好きだということが分かり、

息子は、近所の方と囲碁を時々楽しんでいます。

 

本日も

「囲碁できるけどOK?」なんて誘って貰い、

「うん。じゃあ行ってくるわ。」と出て行きました。

 

帰ってくるなり、

「まだ、勝てへん。かなりハンディ背負ってくれているのに…」

なんて、ブツブツ言っています。

もう少し強くなったら、

さらに囲碁好きな人が集まる場にも連れて行って貰えるようで、

早く勝てるようになりたいそうです。

 

囲碁のルールを伝え、少し一緒に楽しんだだけで、

人生の大先輩の友達ができたわけです。

ここには、「交流」なんて意識は一切ありません。

ただ、勝負がしたいから、次の機会を作る。

こんなことになっています。

 

単純に「また、やりたい」という気持ち。

(学校で交流しましょうと言われてする交流の気持ちとは別次元です)

 

この気持ちがとても大切だと思います。

だから、無理することなく継続もするのでしょう。

で、何より親として嬉しいのは、

こうした機会に年齢の枠を超えて、一緒に楽しめる友達がいることです。

ここで、コミュニケーションの幅も広がることでしょうし、

何しろ囲碁ですから、

相手の戦略や性格まで見ながらゲームを楽しんでいます。

つまり、先に触れた「言葉の裏の意図を読む」なんてことにも

繋がるだろうなあと思うのです。

 

子どもまでもが忙しい時代となり、

こうした、誰もが楽しめる遊びをする機会が減ってきている…。

 

コミュニケーションのスキルはとても重要ですが、

スキルではないその根っことなる部分を伸ばしていくには、

こうした「年齢の枠を超えて遊ぶ」ことが

とても重要な意味をもつ時代ではないでしょうか。

 

 

〜 おまけ 〜

そんな事よりプロ棋士と囲碁の勝負じゃ!とか、

囲碁の楽しさもちょっと体感したい…

と、いう方はメッセージをください。

プロ棋士と勝負したい!囲碁を楽しんでみたい!直接喋ってみたい!その他

 




記事を書いている人

渋谷 こういちろう
渋谷 こういちろう
親と子のカウンセラー(塾らしくない塾)
人は本当は「学びたい」生き物。
学ぶことの本当の価値が分かった人は生涯学び続けるもの。
しかも自分で。せっかく学んだこと、テストだけに利用するのはあまりにも勿体ないことです。「あんた勉強しなさい!」「塾の費用マジやばい(汗)」から解放する元小学校教諭。