学校は自信を育てる?それとも自信を奪う?




今、自分がやろうと思っている事が正しいのか、全く自信がもてません。

何からやっていくと自信がもてるようになるの?

また、子どもが自信をもっていないから、何とか自信をつけさせてやりたい。

こんな相談も受ける事があります。

今日は自分のことも含めて、自信についてお伝えします。

 

 

退職を上司に伝えた時、私は震えていました。


「退職します」と上司に伝えることは勇気が入りました。

当然ながら「何で?」という話と

「どうして生活するの?」という話になります。

退職する理由は、多々あるので、これから書いていきますが、

「どうやって生活するの?」と尋ねられても答えられません。

 

ドキドキしながら、退職の理由を伝えると、

「えぇなぁ、自由で。でも、喰うていけへんで。もう一回考えや。」

と、言われました。

確かに、その通りです。

公務員ですから、何とか職場に通えば食べていくことはできるでしょう。

ただ、ここで「喰うていけへんで」という発想には疑問をもちました。

 

喰うていけるか、いけないか?

挑戦したことがない人に「難しい」と言われるのです。

サッカーをした事がない人に「サッカーは難しい」と言われる様なものです。

私自信も公務員という立場を離れるのが初めてですから、不安です。

その状態の時に「難しい」と言われたら…

むちゃくちゃ不安になります。

自分の中で「恐怖の世界」もどんどん作っていきました。

 

自信なんてものは皆無となりました。

 

 

実は、学校の先生も委員会も本当は不安だらけです。


教師をしている頃にある研修会に参加するように言われました。

シリーズ化された研修でしたが、

内容は「リスクマネジメント」でした。

 

リスクマネジメントとは、

簡単に言えば、「損失を与える要素をどう回避するか」という話です。

つまり、学校もリスクを恐れているということです。

具体的に言えば、子どもの怪我、いじめ、親からのクレーム…

これらを如何に回避するかが重視されてきているのです。

でも、それはある意味仕方がありません。

公教育である以上、みんなに好かれないといけないのです。

 




 

では、リスクを回避して人は育つのでしょうか?


ブランコで誰かが大きな怪我をしたとします。

こうなると、目に見える形で今後の対応を示さないといけないのが学校です。

だからと言って、

ブランコを撤去するとどうでしょう?

子どもは確かに怪我をするリスクは回避できましたが、

自分で危険を予測する能力怪我は怖いものだという事を学ぶ

機会を失うことになります。

でも、残念な事に

ブランコを撤去していく動きが地域によってはあるのです。

 

受験もリスク回避思考が重視されています。

成績が思わしくなかったのでしょうか、

ある子どもは先生に、

「その成績では絶対に志望校に合格できない」と言われ続けたそうです。

そして、安全に合格できる高校を勧められたのです。

結局、その子は安全な高校を受験しました。

子どもにとって大きな試練となる受験を終えても、

彼は何の満足感もないまま、今はただ、中学の卒業を待っています。

先生は「本人のため」を思って安全策を勧めたのでしょうが、

学校の高校進学率を高めるために、

子どもの人生が使われたような気がしてなりません。

例え、高校浪人しても、

自分で全てを決めたのであれば、納得できるはずです。

 

行きたい高校に行くよりも、

ストレートで高校に進学する事の方が価値があるのでしょうか。

 

でも、今の社会では、

みんなと同じようにしていると安全なのです。

多数派に入れば、大きな批判を受けることもありません。

 

 

自分で決めて行動する事は、厳しい道です。


私は教師を降りましたから、自由人です。と言えば、格好いいですが、

レールから外れた場所にいますから、大変です。

 

勉強をして、大学に行き、教員採用試験に通ったので、

食べていく事が出来たはずです。

たくさんの矛盾を感じても自分が我慢さえすれば、安全なのです。

でも、私はその安全なレールから外れる道を選びました。

 

その先には、

学びや社会の本質を考えないといけないという

大きな課題がありました。

 

そんな事を本気で考えた事もない私が教育をしていたのです。

リスクの少ない生き方をしてきた者が教育をしてきたのですから、

無難だけど自信がもてないという人が育つのは当然です。

 

でも、今はとんでもない大きなリスクを自分でとりました。

だから、大変な事もたくさんあります。

ちょっと早まったかなぁ…と思うこともありました。

けれども、本当に重要な事を考えるチャンスに恵まれたのです。

 

  • なぜ、人は勉強をするのでしょう。就職するためだろうか?
  • 自分が生きている価値や自分にできることって何だろう。
  • 今、すぐにでも自分ができることはないのだろうか。
  • 仕事を通して相手に伝えたいメッセージって何だろう。

 

こんなことを常に考えています。

 

 

そんな哲学的なことを考えて何になる?

それこそ、喰うていけないやろ!


そう思った方もいるかもしれません。

でも、はっきりと言えます。

ここをクリアしないと食べていけません。

公務員は倒産、合併、吸収の危機がないからいいかもしれません。

でも、会社や企業はそうもいきません。

スティーブジョブズだって会社を追い出されることがあるのです。

それでも彼がこれまで見事に事業をやってのけたのは、

この哲学的な部分をクリアにして、行動したからです。

 

私は、この部分を真剣に考えないといけない状況に

追い込まれたから発見できたことが山ほどあるのです。

この部分が明確にならないと、

ずっと周りを気にしないと生きていけません。

学校の先生にだって本当はこの事に気づいてほしいです。

 

以前、こんなことがありました。

野外活動でカレーを子ども達は作っていました。

周りには普段触れることの少ない木々が生えています。

ある子どもは、月桂樹(ローリエ)を見つけ、カレーに入れました。

彼は何でそんな事を知っていたのだろう?

きっと、家の人と一緒に木を眺め、葉を摘んでカレーでも作ったのだろう。

そんな風景を思い浮かべながら、私は絶賛しました。

でも…

そのカレーは全部捨てられたのです。

なぜだかわかりますか?

 

偉い先生方に月桂樹を入れたことがバレ、

それが、月桂樹ではなく、何か毒性のある植物の葉で、

そのグループ全員が腹痛を起こしたら大変なことになる!

新聞沙汰となり、みんなにも迷惑をかける…

という話でした。

 

彼らは結局、標準仕様の他のグループのカレーを

食べることになったのです。

 

では、もともと支給されていたお肉が腐敗していたらどうでしょう。

これは、学校的に言えば、どれだけ腹痛の子が出てもセーフなのです。

納品した業者の責任ということになるのです。

安全が大切なのはわかりますが、

これほどリスクを回避して人は成長するのでしょうか。

 

多少の失敗や痛い思いをしながら、

食品の新鮮な状態と腐敗した状態を知っていくのです。

そして、時には感覚的に「食べられるか」「辞めておくべきか…」

自分で判断してこれまでの人は生きてきました。

 

でも今は「安全」という名目のもと、

子どもは挑戦する機会がどんどん失われています。

 

偉い先生方の言い分も分かりますが、

子どもからすれば、最高の学びの時間を奪われたことになります。

このグループのカレーの風味が一味違ったら、

彼らは体を通して、

自然の不思議や昔の人の発見を心から尊敬できたかもしれません。

(そうなるように、質問を私は考えていました。)

こんな素敵なチャンスは学校では滅多には見られませんから、

すごく残念で腹も立ったのです。

 

組織が大きくなり過ぎている為でしょうか。

リスク回避が最優先されていて、

無難・安全が良しとされるのです。

そのくらい、学校は常に不安と隣合わせなのです。

 

 

不安を感じている人に囲まれると不安になります。


学校や先生が不安を感じていれば、

子どもももちろん不安になるものです。

言葉では「すごいね」「自信をもて!」などと言ってきましたが、

今振り返ると、ペラペラな薄い言葉でした。

教育機関が不安であるので、

社会全体に不安が強いのかもしれません。

 

子ども達も大人も、時代の変化が激しいとか、年金はどうなるの?

と言いながら不安を感じながら生きている様に思います。

 

私は、住宅や店舗の販売にも関わっていますが、

「この材料はこう言った作り方がされていて、こんな利点があります。」

といった話をしても、

「科学的根拠は?」「データーは?」という話がよく出てきます。

 

では、

どこかの大学の先生がいいと言えば、納得につながるのでしょうか。

何かの試験結果がグラフに示されていれば、いいのでしょうか。

 

以前の私もそうでしたから、お気持ちは分かるのですが、

本来ならその材料がいいものなのか、そうではないのか?

自分の感覚を一番大切にすべきところだと思います。

でも、どこか権威的なものに頼らないと不安になってしまう…

そんな風潮を感じるのです。

感覚的にいい!と豪語する沖縄県ラムハウジングさん

 

 

誰に何と言われようが…という自信をもつには?


本当に自信をもって生きている人と触れる。

自分が生きている価値や自分にできることって何だろう。

ってことを考え、実践することだと思います。

 

正直に言えば、

こんな学校教育を批判するような記事を挙げるのは、

以前の私は恐れていました。

でも、

私と関わった方々が自分に自信を取り戻し、

やりたかったことを具体的な形にされてきました。

 

新しいことをする、リスクを敢えて選ぶということは、

大変なことで、怖いことが起きるかもしれません。

でも、リスクを乗り越えた時に、

何とも言えない自信が湧いてくるように思うのです。

 

そうなれば、

あなたは自分の感覚を信じて生きることができるのです。

 

今日、小さな事でも何か新しい事や、

人目を気にせず自分の好きな事を思い切ってやってみてください。

いつか、その小さな勇気がいい思い出になるはずです。

 

今、社会は責任の所在をはっきりさせる事に

相当なエネルギーを費やしています。

それは、何か問題が起きた時に、誰が責任を取るのか明確にしないと、

仕事の質が下がると言った認識があるためでしょう。

でも、何か問題が起きた時に、責任の所在を追及するよりも、

関わったみんなで問題を解決していこうとする雰囲気ができれば、

社会はもっと自由で、創造的になると思います。




記事を書いている人

渋谷 浩一郎
渋谷 浩一郎地味にコツコツ事業を伸ばす物書き屋
理想の実現、事業を伸ばすのに重要なものは「想い」
Webの活用でも、何を発信するかが重要。
あなたの想いを引き出し、目に見える形にするのが得意。
ビジネスを伸ばすセッションは、ヤバい!が連呼される。
現在、建築メーカー冊子の連載・WordPressで想いを伝えよう!グループを運営する他、朝6時から生徒と一緒に勉強をするなど独創的な取り組みを行っている。