子どもも大人も挑戦したらええ!

先生!何で勉強しないといけないのか本気で考えたか?

2018/04/14
 
勉強はなぜするの?
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「気持ちと言葉でビジネスが変わる」という発想を教える人。教諭からビジネスの世界に入り、ツールや方法をメインにするな!と強く感じる。気持ちが変われば言葉が変わるからだ。【愛するもの】WPで想いを発信しているグループのメンバー・自作のベーコン・懇親会

うちの子、テストの点数が悪いけど、本当に大丈夫ですか?

このままの成績では、高校進学が危ないって言われたんですけど…。

学校の勉強についていけるようにだけは、何とかしておかないと…。

こんな相談をたくさん耳にするわけです。

もしかしたらあなたも同じようなことで悩んだことがあるかもしれません。

 

そこで、勉強をする理由や学校教育のおかしいなぁと思うところをふんだんに書こうと思います。

だって、子どもの可能性って無限大でもっといろいろ挑戦できる社会であって欲しいと思っていますから。

 

かつては私も偉そうに「君たちのためにー!」なんて言っていました。

厳しい優しさ

数年前までは、私も教壇に立って

「頑張って勉強をしなさい!学力が大事だ!学力がないと社会に出ても通用しない!」

なんて偉そうに言っていました。

そして、懇談会では、

「ちょっと理科の結果が悪いですよね。もう少し家庭学習をする必要があると思います。」

なんてことも言っていました。

ところが、確かに言えることは、子どもにいくら頑張って、

「君たちのことを思って勉強しなさいって言っているんだー!」

と叫んだところで子どもには一つも響かないってことです。

 

勉強できないと進学もできないし、就職もできないというのに何で響かないの?

子どもは子どもなりに大人の社会をよくみています。

大学を卒業したお父さんだって、忙しそうにしているのにいつもお金がないって言っているし…

数年前までは流行っていたお店も今は閉店しているじゃないか?

だったら、今頑張って勉強したところで、将来幸せになれるとは限らないんだから、どうせなら今を楽しんだ方がいいんじゃない?

小学校高学年にもなれば、大嫌いな勉強をしなくても済む理由を見事に探してくるわけです。

進学して、世間一般にいいと言われる会社に務めるために勉強をするというのであれば、大人のものの見方よりも子どもの見方の方が随分正確だなぁと思います。

 

子どもに「勉強をする意味なんてないんじゃない?」と言われたらどう対応しますか?

私は、子どもの見事な視点に納得されたのです。

心の底から「そうじゃない!勉強は絶対に必要だ!」と言えなかったのです。

そして、当然ながら「そうだ!じゃあ思い切り遊べばいい!」なんてことを言う勇気もありませんでした。

ですから、お茶を濁すわけです。

「そうは言ってもなぁ、何か興味が湧いてきて大学にでも行きたいとなった時のために勉強をしておいた方がいいんじゃないか?」

「勉強はそりゃ大変だけど、やっておいて損をするってことはないと思うよ。」

 

実際に、私の周りにはたくさんの先生がいましたから、

先生方にも「子どもに何で勉強するの?」と聞かれたらどう答えるのか質問をしまくったことがあります。

  • 人生何があるか分からない。勉強をしておいた方が潰しが効くやろ。
  • やっぱり食べて行かなくてはならいでしょ。就職しようと思ったら勉強はある程度できないとね。
  • 言うことを聞ける人間かどうかを判断できる。勉強ができる人は、やりなさいと言われたことができる人だから雇いやすい。
  • はっきりとした答えがないから、それを探すために勉強をする。

などなど…いろんな答えが出てきました。

あなたは、これらの答えの中で納得するものがあるでしょうか。

 

実は教師なのに「勉強をする理由」ってものを真剣に考えていなかったのです。

勉強をする理由を考える前に勉強をしろ!

教育に関わり、来る日も来る日も授業をしていたにも関わらず、「なんで勉強するの?」ってことを考えていなかったのです。

もちろん、「勉強をする理由」について書かれた書籍なんかは読みましたが、今、振り返ると表面的な答えを求めて読んでいたのにすぎません。

「えっ?」そんな事も考えずに授業をしていたのか!

って思う方もいるかも知れませんが、そんな哲学的なことを考えなくても生きていけたからです。

公務員であり、サラリーマンですから、そんな事を考えなくても毎月決められた日には、多いなぁって思う程の金額が振り込まれるのですから。

そして、自分は生活の心配をすることなく生きていけているのだから、その世界観を子ども押し付けるわけです。

「勉強をしてとりあえず大学に行って、就職したり、公務員になれば食べていけるぞ!」って。

 

きっと他の先生方も真剣に考えていないことでしょう。

もちろん、中には相当な熱意をもって教育に関わっておられる方もいらっしゃいますが、多くの先生方は「勉強をする理由」なんて考えなくても生きていけるのです。

ですから、私が退職の道を選んだ時にも

「無茶はするな!家族はどうなるの?」

「社会はそんなに甘いものじゃない!現実は厳しんだ!」

「今更そんな無茶せんでもいいやんかぁ。」

と先生方に言われるわけです。

 

それはありがたい言葉なんだけど…

公務員を退職して、めっちゃ泣きそうになるくらい辛い状況になったからこそ、私は改めて社会を見ようとできたのです。

社会が求めている事や自分の能力が活かせる場所やスタイルを見つけないと、フリーとして生きてはいけないので、必死です。

「現実は厳しくて、地獄のような側面もある」からこそ発見がたくさんある!そう感じたのです。

 

 

なんで、いろんな教科を勉強しないといけないのか理解できないんです。

できない事があるから助け合える

国語も数学も英語もできて、美術も体育もよくできる。

こんな子どもは学校ではスターです。

もしかしたら親も鼻高々かも知れません。

けれど、社会は全部ができる人を求めていません

 

例えば、

農業を営んでいる方がいるとしましょう。

野菜やお米は売るほど収穫できる。

けれども、便利な機械や道具がなければ労働は相当厳しいわけです。

ですから、農業をされている方が少しでも楽に仕事ができるようにと、機械を開発する人がいるのです。

そして、機械の開発に没頭するあまり、弁当を作る暇もない!なんて方も出てくるでしょう。

だから、そんな忙しい人を助けるという発想で、弁当屋さんやコンビニが誕生のしたのだと思うのです。

つまり、できない事があるからこそ社会は多様に広がって行ったはずです。

 

こうして考えると万能な子どもを育てる意味がわからないです

私は優等生です

万能な子どもが良くないという話ではありません。

それはそれで素晴らしい事なのですが…問題は、

「国語が全くできないからダメだ!」という発想です。

こういうと、「いやいやそれぞれ得意不得意があるから国語がダメでもいいと思うよ」

と言われる方もいるのですが、学校現場は、そういう発想ではありません。

「5年3組は国語の平均点が全国平均よりも低い。どこかに問題があるはずだから原因の分析をしなさい。」

となるわけです。

そして、次のテストが行われた時に、5年3組の国語の平均点が全国を上回ったなら「頑張って指導しましたね。」とお褒めの言葉がいただけるのです。

ですから、先生方も全国の平均点や学級や学年の平均点を相当意識しています。

先生同士の会話も「今年は上やった?下やった?」で通じる程です。

もはや、学校や先生方の意識も勉強をどこに活かすのかではなく、点数しか見ていないのです。

 

勉強した事をどこに活かすのか?それとも勉強をしておけば安心なのか?

私が退職する時に、

「現実は厳しいんだ!無茶をするな!」と言われた言葉が考え方を表しているように思います。

要するに、無茶な挑戦なんかするより、そのまま教員として生きていた方が無難だろうという事です。

「苦労して先生になったんでしょ。もったいない!」

ここでいう苦労というのは勉強してきた事を指すのでしょう。

そして、もったいないというのは、安定した給与とかちょっとした肩書きが無くなる事を指すのでしょう。

つまり、

勉強という努力をしてきた結果、自分が得てきたものを手放すなんて勿体ない!という考え方なのでしょう。

 

ところが、社会を改めて見直してみると、素敵だなぁと思う人はそんな発想を一切していないのです。

自分の収入が増えるとか、会社がよく儲かるとかじゃなくて、自分が社会に対して何ができるのか真剣に考えておられるのです。

  • 少しものの見方を変えるだけで、子育て中のママだってやりたい事は全部できる!と発信しまくる人。
  • 今の建築基準法は問題だらけだ!自然の営みをもっとみるべきだ!と言い続けている人。
  • 電車が大好きで時にはオタクと言われるけれど、自分が堂々と発信する事でみんながもっと自由に好きな事が言えるようになるじゃないか!というオタク。

こんな方々は、自分の得意な事をどうしたらもっと社会に活かせるのか?

そんな視点で常に勉強をされているのです。

 

ちなみに私は資格を取らずに仕事を増やすという事にしています。

それは、資格を取得すれば生きていけるという発想が根付いているからです。

 

資格があれば何とかなるという発想は、社会を見ていないのです。

いい大学を出れば、就職先には困らないだろう…という発想にしか見えません。

だから、社会を見るっていう視点をもてば、仕事は無限に作れるんだ!って事を表現したいのです。

 

私が約40年かかって何となく見えてきた事を中学生がもう公言?!

彼はブログの中で、中学校生活についてこう書いています。

学校の先生や友達が人形に見えた。

中学校は自由を奪って僕たちのためじゃなく、学校がスムーズに運ぶように効率だけを考えているように僕はみえた

それを友達とか先生が何も考えず言うことをきいているのが、僕には操り人形に見えた。

(ここの記事から抜粋させてもらいました)

学校が大好きだった僕が不登校になった理由

 

彼は、はっきりと学校へいかないと言っています。

学校が嫌いだ!勉強が嫌いだ!友達に嫌な事を言われた!から行かないのではなく、

自分で考えて行動したいから行かない事を選択したそうです。

その選択に対して、風当たりも相当強かった事でしょう。

家族も本人も…一旦、ボロボロのところまで落ち、毎日涙を流したはずです。

だからこそ本気で彼も「学校の役割」とか「生き方」を考えたのでしょう。

 

そして、今、彼は教育を変えようとしているように見えるのです。

不登校である自分がいろんな事に挑戦して、いくつか達成する事ができたら

不登校だから絶望的だ!って思っている人や家族を救えるのではないか。

そんな視点で彼は行動しているのです。

 

教育に関わる大人へ!いつまで自分だけの視点で教育をするんですか?

失敗はあなたの責任で成功は私の手柄

塾の前を通ると、「期末は得点アップ!」とか「有名大学○名合格!」と貼られています。

そして、この実績がよければ塾の売り上げも伸びる事でしょう。

学校もそうです。クラスの平均点が大きく上がると先生が褒められるんです。

だから、ついテストで結果が出るように熱弁をふるって、宿題をガンガン出すわけです。

そして、子どもの成績が上がれば安心するのです。

 

私はこの「安心」や「点数」で一喜一憂する事の方が不登校よりずっと恐ろしく感じます。

不登校の彼の視点は、自分と同じように学校に違和感を感じた人を勇気づける役割をしたい。という視点。

点数が良かった!評定がアップした!で喜ぶ視点は、自分だけの視点だから

 

私は、膨大な時間をかけて勉学に励むのであれば、その勉強がどんな所に活かせるのか一度真剣に考える必要があると思うのです。

学校もテストの点数については分析をするけれども、何で勉強するのか?と先生たちが熱く議論しないのか私には疑問なのです。

そろそろ、社会が面白く、可能性が広がる教育にシフトする勇気を出してもいいはずです。

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